世界の果てに浮かぶ陽光色の塔の頂きで、慟哭する少年が独りいた。

未だ温かい少女の亡骸を、その腕に抱いて。


『喜ぶが良い。器となるべき存在は消滅した、最早人間に脅威は存在しない。人
間の勝利だ! 新たな秩序が創られたのだ!!』


少年を見下ろし銀の龍は、人間をアイしてしまった断罪のケモノは高らかに笑う
。


「・・・新たな、秩序・・・?」


銀の龍の言葉に、覇気を失った少年の瞳が僅かに震えた。


「・・・人間の、勝利・・・?」


少年の瞳に光が戻り、その右手は何かを探して床の上を這い回る。


「そんな事の為に、」


少年の右手が目当ての物を見つけ、剣の柄を握り締める。


「そんなものの為に、」


亡骸を優しく床に置き、少年はゆっくりと腰を上げていく。


「お前はリドリーを殺したのかっ!!」


裁定者の名を持つ一振りの剣をその手に執り、少年は銀の龍を見据えて吼えた。

その瞳に暗い情熱の灯は点り、苛烈な焔となって燃え盛る。


『何故貴様は私に刃を向ける? 今更我々が剣を交える事に何の意味が在るとい
うのだ』

「黙れ!」


銀の龍の問いを一蹴し、少年は地を蹴り駆け出した。


『霊継ぎの儀式を受けたその娘は、自らクェーサーの器となる事を選んだ。自ら
人間を裏切り、自ら人間に牙向ける事を選んだのだ』


憎悪を纏い振り下ろされた鋼の牙をその黒翼で確と受け止め、銀の龍は更に口を
開く。


『その娘が金龍の器となれば我等双龍の交代が起こり、結果世界は滅ぶ。人間を
救う為にはこうするしかなかったのだ』

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」


銀の龍の言葉を否定するように声を張り上げ、少年は剣を握る両手に更に力を込
めた。


「お前に何が解る! ・・・リドリーは人間だった。龍の器だろうが何だろうが
、俺達と同じ人間だったんだ!!」


少年は後方へと跳躍し、銀の龍から一端距離を取った。

正面に構えられた剣の刀身に彫られた文字が、少年の怒りに呼応するように淡い
光を放っている。


龍は一瞬哀れむような眼で少年を一瞥し、そして徐に口を開いた。


『・・・、ジャックよ。お前は、間違っている』


銀の龍の言葉に少年は奥歯を噛み締め、言葉を絞り出すように口を開く。


「間違っていたって構わない。銀龍! 俺はお前を、お前だけは、絶対に許さね
ぇ!!」


咆哮するような叫びと共に、少年は剣を手に再び銀の龍へと立ち向かった。

迎え撃つように龍も漆黒の大剣を執り、背中の黒き両翼を大きく拡げる。

二本の刃の激突は大地を揺らし、その衝撃は大気を斬り裂き世界の端に亀裂を入
れる。



そして・・・、









六方を高く堅固な城壁で囲まれた人間の王国、ラジアータ。

丘の上からその馴染み深い街並みを見下ろし、少年は吐息と共に小さく笑った。

もしかしたらこれが見納めとなるかもしれない。

もう二度と、自分はあの街に戻る事は無いかもしれない。

切なさに似た淋しさが胸を焦がすように錯覚する。

未練を振り払うかのように、少年は自分の頭を大きく振った。


人間と妖精の戦争、第二次妖精大戦は終結し、今は戦後処理で何所も慌ただしく
動いている。

傷痕は深く遺恨も長く残るだろうが、兎に角戦争という名の動乱は幕を下ろした
のだ。

とりあえず、という枕詞は必要だが。


そして少年と銀の龍の一騎討ちは、結局少年の勝利という形で締めくくられた。


少年の脳裏に、不意に銀の龍の言葉が蘇る。


「……お前は間違っている、か……」


世界の果てで銀の龍に言われたその言葉に、少年は眼を伏せた。


―人間は業に生き、業に死ぬ生き物だな・・・―


銀龍の最期の言葉が少年の脳裏に蘇る。

少年はその言葉を否定した、だが今改めて少年は思う。

果たして自分には、あの時あの言葉を否定する資格が在ったのだろうか?


「・・・間違っていたって、構わない」


あの時銀の龍に応えた言葉を、少年は再び呟いた。

まるで自分自身に言い聞かせるかのように。


少年はその背に背負った剣を引き抜き、地面に深く突き刺した。

王国を見下ろすように突き立てられた龍殺しの剣は、墓標のようでもあり、また
十字架のようにも見える。

少年は最後にラジアータを一瞥し、踵を返した。


「さて、まずは何処へ行こうか」


荷物を背に担ぎ格好つけたように呟く少年に応えるように、


「・・・そうだな、東なんてどうだ?」


鈴を転がしたような澄んだ声が響いた。

少年の目の前に一人の少女が立っている。

長い金の髪を頭の左右で纏め、旅装束に身を包んだ一人の少女。


「リドリー」


少年は少女の名を口にする。

失ってしまった筈の、死んでしまった筈の、しかし今目の前に立っている少女の
名を。




先の大戦中、王国内に存在する四大ギルドの一角ヴァレス魔術学院において、死
者の蘇生術が完成していた。

そして今は機密として一般は元より王国にすらも厳重に秘匿されているその大魔
術の完成に、少年は大きく貢献していた。

少年の協力無しには完成し得なかったと言っても過言ではない。

蘇生術の完成に必要不可欠であった素材、ブラッド・オークの角。

妖精最強と畏怖されるその怪物に少年は単身挑み、そして勝利を手にした。

少年の手に入れたブラッド・オークの角によって蘇生術は完成し、死者蘇生の理
論を打ち立てた若き女魔術師は最愛の人間をその手に取り戻す事が出来たので 
ある。


『等価交換』という言葉が存在する。

それは与えられたものには須くそれに見合うだけの代価が必要とされるという、
魔術師達の暗黙の掟。

恋人を取り戻した件の女魔術師は、その代価として一つの奇跡を少年に与えた。


――それが、今少年の目の前に立つ少女。



「本当に良いのか? 城に戻ればきっと皆喜んでくれる。お前の親父さん辺りな
んて特に」


少年の言葉に首を振り、少女は切なそうに笑みを浮かべる。


「・・・良いんだ。お父様の娘は既に死んだ。元より私は裏切り者、ラジアータ
に戻る権利なんて持ち合わせていない」


少女は視線を落とし、「それに」と言葉を続ける。


「それにお前には悪いが、今此処に在る「私」という存在もきっと間違いなんだ
。私にはそう思えてならない」


そう言って眼を伏せる少女に、少年は何かを決意したように口を開いた。


「お前が自分を否定しても、世界中がお前を否定しても、俺がお前を肯定してや
る」


力強い少年の言葉に、伏せられていた少女の双眸は大きく見開かれた。

少年は更に続ける。


「今お前は生きている、それだけで充分だろ? ・・・代償行為だと言われたら
否定しない、偽善だと罵られても構わない。でも、俺は今お前が此処にいる事 
を間違いとは考えていないし、喩え間違っていてもそれで良いって言い切ってみ
せる」


一気に言い切られた少年の誓いに、少女は一瞬言葉を失う。


「ジャック、お前・・・」


呆然と呟く少女に、少年は気恥ずかしそうに笑みを取り繕った。


「・・・なんてな。どうした、俺に惚れたか?」


茶化すような少年の笑顔と言動に、少女も自分のペースを取り戻していく。


「・・・いや。ただお前が代償行為や偽善といった難しい言葉を知っていたとい
う衝撃の事実に、些か吃驚しただけだ」

「うわ、酷ぇ!」


軽口を叩き合い、二人は吹き出すように笑った。心の底から愉しそうに。




『・・・運命は誰かから与えられるものではなく、自分自身で切り拓くもの。一
体誰の言葉だったかしら』


丘の上で笑い合う二人を遥かな高みから見下ろし、『神』は独り口元を歪める。


『人間はいつも神の思惑を裏切り、その奇跡は運命と言う名のレールを崩し、シ
ナリオを書き換える』


二人を見下ろす『神』の眼は何処までも優しく、何処までも拡く、そして僅かな
憂いを含んでいた。

それは羨望の眼差しにも似ていて、そして嫉妬の色も含んでいる。


『・・・だからこそ、人間は面白い』


そう言って『神』は小さく笑い、瞳を閉じる。

いつの日か、あの少年と少女が自分の許まで昇ってくると確信して。

その瞬間の到来への期待に胸踊らせて。





これは在り得たかもしれないIFの結末。

無限なる夢幻の中の一握の砂。

少年と少女の物語は、未だ始まったばかりである。



・・・END