黄昏色の白昼夢 そこは狭く薄暗く、湿った。地下水道だった。 ゆらゆらと手にしたカンテラが揺れ、ゆく道々を明るく照らす。 私はその道を、その場所を知っている。なぜならその場所は私が作り上げたものなのだから。もう、目を瞑ってでもそこへ辿りつける。 『あの人』の納骨堂に足を踏み入れる。溶けきった蝋燭を新しいものに変え、カンテラから火を移す。すこしだけ明るくなった。 彼の前では兜を脱ぐと決めている。金髪がオレンジ色の蝋燭の焔に溶けるかのように流れた。 「しばらく来れなくてすいません」 そのままかぶりを下ろす。兜を地面に、立ったまま指を組んで祈りをささげる。かつて永遠の愛を誓ったあの人に。 この瞬間。思い出されるのは彼との日々。血と火と惨劇のあの日々に。 私の父は知らないが、母はダークだった筈だ。ダークエルフという妖精族から産まれた私だったが、産まれつき、容貌がニンゲンに近く、また魔力も低く。ダークエルフとしては落ちこぼれだった。しかし若き長老ノゲイラ殿はそんな私を特別あつかいせず。「君が産まれた理由は必ずあるのだ。だから自分を卑下したりしてはいけない」といってくれた。思えばあの言葉こそ私があの人と出会えた大きな分岐点となったのだろう。 それからというものの私は剣の使い方を覚える事にした。本来ダークはライトほどの魔力は持たず。またニンゲンほどの力もない。しかし私にはその力――――パワーがあった。その代わり魔力は毛ほどにも無かったが。 そうして、剣を扱うことを憶えた私はその後に起こる妖精とニンゲンの大戦に、興味本意で参加してしまった。 ダークは中立的な種族。ニンゲンたちの戦争に手出しすることはできはしないのだが、私はその掟を破ったのだ。 そして第一次ヘレンシア戦線、妖精軍は敗退。ニンゲンがレサンの木に火を放ったのだ。一時拠点としていたレサンの大木はあっという間に火の手が回り、倒れ。妖精軍はニンゲンの待ち伏せている窮地へまんまと誘いこまれてしまった。 数々の妖精の残党がニンゲンの手によって殺されていく中。私は自分の力の無さを呪い、掟破りの罪を後悔していた。奮え、怯え、殺されるという恐怖に苛まれていたのだ。 そのとき、私はあの人と出会った。溶けそうな瞳と、柔らかな表情と、大きな体に。私は彼に引導をわたしたのだった。安心のあまり、そのまま私の意識は遠くなった。 気付いた時に始めに目にしたのは木造の天井だった。虚ろな目はその木の世界をさまよい、あの人の姿を見止める。あのとき穏やかに微笑んだ。もう何百年と経とうというのに、未だ忘れない。 私は彼のそばに置いて欲しいと願った。彼は快くそれを受け何も聞かずに私を家に置かせてくれた。掟を破った私が緑森京に還る資格などなかったから。 掟破りのダークである私は、彼の村の民からしてみれば妖精側についた――――いわばニンゲンの敵。 いくら容貌がニンゲンに近くとも、ダークであるという事実は拭えない。すでに彼はそれを悟っていたかのように、私を想ってか、あるいは民を動揺させないためか。『妻』として迎え入れてくれた。あくまで形だけだったが。 彼は私を『エル』と命名した。1人の人物に対して忠誠、または敬愛の意味を込めた名だ。 そして鎧。私の為に彼が鍛冶屋に頼んで作られたものだ。彼との絆の一つである。 アルフレッドの右腕、エルとなった私は彼と行動を共にした。 剣の腕も彼の指南と旅により培われたものだ。 そんな彼と一緒になり、私は成長し、また心を持った。 それは私が彼を愛したということ。  だがその愛は告げられず。自分の中だけで誓いをたてたのだ。あの時告げていたら未来は変わってしまったのかもしれないけれど。  そして、十年近い年月が過ぎ、第二次ヘレンシア戦線を迎えた。しかし、私たちは一触即発の戦線を素通りし、シャングリラを通り火の山へと足を踏み入れる。  そこでは、大男が待ち構えていた。紅い火を噴くようなドレッド。口にくわえた大きなマッチ棒。あの人はそれがまるで友人のように無防備で彼に近づいた。  「まさかお前と闘う日が来るとは」  「仕方ねぇだ。いつかこうなる。とは前々から思っていたことだべ」  大男と彼は苦笑し合う。 そして彼はすらりと聖剣―――アヴクールを抜く。鍔音は物悲しげに聞こえた。 大男は・・・・なんと禍々しい、灼炎の息吹と緑色の鱗をもつ龍へと変化した。パーセクが龍だとはこのとき知る由もなかった。 そして死闘は始まった。私はこれまでにないあの人の気迫に微動だに出来ず。ただその戦いを見届ける。互いに傷つき、それでも尚立ちあがろうとする。ここで私が加勢しようものなら、あの時彼に止められていただろう。 次の攻撃を決めた方がこの死闘に勝利する。 一手。火龍が速く立ちあがった。彼の危険を感じ私は走り出す。兜が脱げ、長い金髪が露わになる。それより尚速く力を振り絞った炎の一撃が彼の身を焦がす。それが決め手だった。 駆け寄ったときには彼は体のほとんどが炭化していた。肉が焼け、血の蒸発する臭いが私の鼻をついた。  ただ私を求めてさまよう。炭になりかけた手が私の頭に置かれた。  焦点がだんだんと定まらなくなってゆく。睫毛の焼け、もう誰の顔とも判然としない顔だったが、けれどあの溶けそうな瞳は。永遠にたたえていた。そしてそのまま、彼は目をゆっくりと閉じた。    私はそして、兜を被り直す。地面で光を失っていたアヴクールを手にとる。ずっしりと重い。  彼の意思を受け継いで、火龍へと向き直る。私はそのとき『エル』の名を捨て『エルウェン』になった。  いまだけは、彼を愛した『エル』ではなく、想いの為に戦う『エルウェン』になったのだ。  火龍へ雄叫びとともに向かっていく。 その後だった。 彼女が始めて泣いたのは。  ここは彼が眠る場所。彼の遺骨が安置されている。 そしてまた、ここにはかつて彼を愛した『エル』が眠っている。  私はこの場所にいるときだけ、ただの『エル』としていることができるのだ。 『彼の後継者』を待ちながら。 いつのまにか、納骨堂内部の明かりは弱くなっていた。。 そして、長い金髪が持ちあがる。長い沈黙から――――夢から目覚めたようだった。 納骨堂で、テアトルでいつか必ず訪れるはずの『彼の後継者』 ただ『エルウェン』として『エル』の変わりにできる。たった一つのこと。 蝋燭の消えゆく最後の灯火の中に、あの人を見たような気がした。溶けそうな瞳が私を映し、柔らかな微笑みが私の心を揺さぶる。 彼女は緩んだ口元から彼を呼んでいた。 「かつてあなたに永遠の愛を誓った『エル』はあなたと共にあります。彼女は今でもあなたを愛しています。アルフレッド・・・・」 ふっ、と彼の幻影は蝋燭の焔とともに、まるで白昼夢のように消えてなくなってしまった。